芦屋のクラシック音楽コンサートホール

兵庫県芦屋市東芦屋町3-9
TEL:0797-55-0730

イベント情報

2002年05月

2002.05.23

68. ディヴィッド・コレヴァーによるレクチャー/リサイタル

 68, ディヴィッド・コレヴァーによるレクチャー/リサイタル

    ~~~クライスレリアーナ~~~
辺り一面新緑に輝く湘南国際村にお馴染みのコレヴァー先生を迎え
レクチャー/リサイタルを催した。題はR.シューマンの「クライスレリアーナ」
 2002年5月23日(水) 午前10:30~12:30
           Salon Collinaにて 
今回はいつものように頭から演奏を聴くのでなく、作曲の背景について講義を受けてから演奏を聴いた。曲はロベルト・シューマンの「クライスレリアーナ」、1838年、シューマン28歳のときの作品で、8楽章からなるピアノ曲である。当時、ドイツにはドイツロマン派の小説家であり、音楽家でもあったE.T.A.ホフマン
がいた。相当な変わり者だったらしいがその音楽評論は鋭くシューマンは彼に傾倒、共鳴していた。このホフマンの書いた自伝風小説に基を置きシューマンが作曲したのがこの「クライスレリアーナ」である。クライスラーはホフマンの筆名であり、「クライスレリアーナ」は「クライスラーにかんすることども」と言った意味である。
ホフマンつまりクライスラーはその自伝風小説でその恋人ジュリアとの叶わぬ恋を語るが、シューマンはそれに自分自身を重ね合わせ、自分、ロベルトとクララの愛を音楽の形で語る。ロベルト・シューマンが熱烈に恋した相手はピアノ教師の娘、クララだったが、クララの父の猛烈な反対に会い、文通もままならなかった。そんな二人が想いを通わせるには音楽しかなかった。ロベルトがクララに寄せる熱い想いを作品「クライスレリアーナ」に託して語ると、クララがそれを弾いてみて、その中に自分を発見して微笑むのだった。小説が音楽と化したのである。音楽で音を楽しむのは当然だが、その作曲時の作曲者の秘めた想いを知るのも結構おもしろい。それを知った上で聴くと何だか分かったような気になってくる。
ホフマンは自分を牡猫に扮し、猫が気ままにやるように文章を途中で切ったり、他の文章を途中で貼りつけたりして、支離滅裂な効果を出しているようだが、シューマンはそれを音楽的にやったらしい。その辺をコレヴァー先生が実演して見せた。このようなことを知りえたのも今回の講義を通じてであった。
 私のような素人でも素人は素人なりにこうして知識を積み、名曲に少しでも接近できるのはおもしろく嬉しいことだ。

2002.05.12

67. エドソン・エリアスピアノリサイタル

 67.エドソン・エリアスピアノリサイタル

2002年5月12日(日)午後2時~Salon Collina にて 
丸1年ぶりにあのエドソン・エリアスがここに戻ってきた。
今回も類稀なあのプロ中のプロの技を披露してくれた。       
「弘法、筆を選ばず」というが、ピアニストはピアノを選ぶ。楽器の良し悪しが演奏の質を決めるらしい。エドソン・エリアスはこのサロンの1923年製ニューヨーク・スタインウエイの音色が大好みだ。多色の厚みのある音を響かせ適度な余韻を残してくれる。このピアノがエドソンの手指に触れると魔力を発揮し、サロン全体が一個のオルゴール、music boxに化ける。譜面どころか譜面台もはずし無念無想で自家薬籠中の名曲を弾く、その時の彼の息吹きとインスピレーションには鬼気迫るものがある。それが彼の指を通じてピアノ弦をゆるがし、観客の耳目を通じて心の琴線をゆるがす。音楽は時間なくして表現できないし、空間なくしても表現できない。音楽は時空の美に違いない。時を刻むその音は空間の中で、長く短く、高く低く、強く弱くこだまして音の彫刻を作る。陰影のはっきりした襞、柔らかくふっくらした肌、均整のとれたポーズ、中に入った魂は清澄、深遠、かつ重厚で、まるでロダンの「考える人」の魂のよう。
本日の観客の一人から早速e-mail で送られてきた感想を記させて頂こう。エドソン先生の演奏は昨年のリストのソナタを聴いて衝撃を受けて以来、 1年ぶりでした。(それは作曲者が乗り移ったかのような凄まじい演奏でした。) 先生の、朗々と旋律を歌わせながらも、決して繊細さを失わない演奏に 今回もまた感動いたしました。恐ろしいくらいの強烈なフォルティッシモ、本当に悲しくなってしまうほど美しいピアニッシモ、ピアノ自身が呼吸して いるのではないかと錯覚してしまうようなフレージング・・・。 5月の爽やかさを彷彿とさせる冒頭のモーツァルト、一転して陰影に満ちた暗く、 自分自身に問いかけるかのようなベートーヴェン、後半の数々のショパン、 特にト短調の夜想曲と、即興曲が印象に残っています。 また、怒涛のような ショパンのバラードの後、それを慰めてくれるかのような、アンコールでの美しい モーツァルト、リズミカルで活気に満ちたベートーヴェンの終楽章、華やかなヴィラ=ロボスの「赤ちゃんの一族」、思い出したらきりがありません。また、エドソン先生のような素晴らしい芸術家に、社会人で一介のアマチュアが レッスンを受けさせていただいたことは、分不相応と重々わかっているつもり ですが、受けさせていただいて本当に良かったと思っております。 先生が私の演奏に対して拍子を取りながらコーチしている時、自分でもびっくり するくらい演奏が変わっているのに気づきました。先生の場合、もちろん言葉 での指摘も的確なのですが、拍子を(というか指揮に近いものなのですが) 取っていただくと、先生のエネルギーがこちらにも伝わってきて、体で感じることが 出来ました。「同じオーケストラでも指揮者が変われば、演奏まで全く変わってしまう」と言うことをよく耳にしますが、それはこのことを言っているのではないで しょうか?ーー中略ーー 精神的に、「贅沢な」1日を過ごさせていただきました。
私はまだ半人前のサラリーマンですが、また明日から仕事に頑張りたいと思います。
本当にありがとうございました。
 最後にエドソン・エリアスの書き残した感想を記しておこう。
It is a very great pleasure to play here in Salon Collina. The artist is immediately surrounded by the magic atmosphere created by the Nakanishi family and their friends. Concentration and inspiration are therefore priviledged in this place. It is really a magic spot.
  主旨: サロン・コリーナで弾けて大変嬉しい。芸術家はここにくるとすぐさま
   中西家族とその友人たちで作る魔力的な雰囲気のとりこになる。注意が集中しインスピレーションが湧くのもそのお陰で有難い場所だ。本当に魅力あるところだ。
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