芦屋のクラシック音楽コンサートホール

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ブログ

2021.07.01

齢と脳

 齢と脳

齢も80を過ぎると、いよいよ「自分らしさ」を追求したくなる。One and onlyの世界である。
人間には二つとして同じ顔がないように人はみなそもそも唯一無二なものだが、生き方をベースに考えると、そこには類型があり、必ずしも唯一無二とは言い難い。今日も世界陸上の模様をテレビで観戦していて、勝負を争う選手の生き方に相違があるとは思えなかった。
それでは、人がその人らしく、他人と違った生き方をしているとはどういうことか。それはその人の脳に刻まれた痕跡、形跡が他人のそれと違っていることだ。
人は生まれ落ちた瞬間からそれ以来、休むことなくどの瞬間も脳を使わずに生きてはおられない。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、人の言動は生後から現今まですべて脳の支配するところであり、その形跡は記憶され、よく使う脳の部位はよく発達し、強化され、使わない部位は未発達のままで残る。
私は人をざっくりと動詞型、名詞型、形容詞型の三種類に分類する。動詞型は行動派、名詞型は知性派、形容詞型は感性派で、だれでもこれらのすべての要素を大なり小なり持ち合わせているが、とくにその人の目立った部分で色分けしている。動詞型の典型はスポーツマン、名詞型のそれは学者、研究者、形容詞型のそれは芸術家といった具合である。
人がどうして今の職業についたか、それはその人の脳に訊けば解る。幼少の頃からの色々な生活体験が脳に刻まれており、それが得手ないし無難と思われた職業を選ばせたのである。そしてその職業に付くことにより、いよいよその方面の脳部位が発達し強化された。反面、少しも使わない部位は未発達のまま残された。
 
ここで私の場合を取り上げてみる。明らかに形容詞型である。
私の幼少時を辿ると同居していた祖父が表具師だったため物心ついたときから書画骨董を身近で無意識ながら見てきた。無意識ではあるがそれにより私の視覚神経部位が幼少の割には発達していたかも知れない。それがいうところの三つ子の魂となり、発芽となってそれ以後どの年齢においても美術に対する関心はあり、それが強まり今日に至って絵を描いている。
また父が私の幼少の頃からこれからは英語が大切と説いたことから英語好きになり、学生時代を通じ、また社会人になってからも英語を鍛えたが、それらはすべて私の言語中枢を発達させ強化させた。
美術や英語が好きになったのはこのような次第である。
そこに新しく加わったのが音楽である。
結婚するまで私の生活環境に特段、音楽に言及するほどのことはなかった。これまた脳のよく知るところで、この聴覚神経が発達していたとは到底思われない。
しかし、妻が音楽に特化した女性だったため、次第に音楽に目覚めた。しかし、それは三十歳半ばからで、運動神経が未発達な私に、運動神経のいる楽器を扱うことは不向きと断じ、できるのは音楽鑑賞だった。とくに定年前後からはクラシック音楽を中心に聴いてきた。自前で音楽ホールを作ったこともあり、このホールや他の場所で催したコンサートも今や500回以上を数え、常に演奏家の生の音に接してきた。これが私の聴覚神経を異常に発達させたことは間違いない。
話が少し元に戻るが、私の英語好きの特長は、リスニングにある。51歳から始めたアメリカ国内放送の聴き取りである。まだ聴き取れたとは言い難い。が、間違いなくその聴覚開発途上にあり、これからが楽しみな領域に入った。
 
世の中には美術の専門家も音楽の専門家も英語の専門家も沢山いる。その人たちにとって、それはその専門領域であり、たやすく他人が追随できるところではない。英語の場合は少し違う。ことは読み書きではなくリスニングである。中でも米国の国内放送が聞けるリスニングである。例外はあるとしても帰国子女でなければできる技ではないと思う。
80を回った私の「自分らしさ」をいよいよ磨いて行くためには、以上の三つ、絵描き、クラシック音楽鑑賞、英語リスニングの総合である。音楽の聴覚野と英語の聴覚野、これらは脳部位でも近くに居合わせ何らかの相互作用があるはずである。また絵画の視覚野も音楽の聴覚野と視聴覚として底辺で繋がっているかも知れない。
これからの脳活性化が精神的、肉体的若さ保持の秘訣である。
(2017.8.9)

2021.07.01

クラシック音楽って

 日、かつてベストセラーになった「絶対音感」(最相葉月著)を読み直していて、あの世界的に有名な作曲家にして指揮者、L.バーンスタイン(ミュージカル“ウエストサイド物語”の指揮など)の「音楽って何?」と題する言葉に出会った。孫引きの上、我田引水めくので恐縮だが、ちょっと引用してみたい。「…大切なのはこのリズムが僕たちを興奮させ、ワクワクさせてくれること。…ワクワクするのは、ワクワクさせるように音楽が書かれているから。…みんなだって何かが自分に起こったとき、踊ったり歌ったりして、自分の気持ちを表現してみたくなることってあるでしょう?絶対あるよね。作曲家にもあるんです。…音楽の意味っていうのは、これなんです。シャープとかフラットとか和音とか、むずかしいことをたくさんわかる必要はないんです。もし、音楽が何かを私たちにいおうとしているなら、その何かというのは物語でも絵でもなく、心なんです。もし音楽を聴いて、私たちの心の中に変化が起こるなら、音楽が私たちにもたらすいろいろな豊かな感情を感じることができるなら、みんなは音楽がわかったことになるのです。音楽とはそれなんです。物語や題名はそれに付随したもの。そして、音楽が素晴らしい点はみんなにいろいろな違った感情をもたらすことができること。それには限界なんてないんです。…音楽は音符の動きです。忘れてならないのは、音楽は動いているということ。たえずどこかへ動き続けます。音符から音符へ飛んで、変化して流れていきます。そしてそれが、何百万という言葉でもいい尽くせない心を伝える方法なんですね」

(p240~242)
私自身、音楽はそのようなものとずっと考え、その考えに基づき自分のホームページを作ってきた。が、内心いつもどこかで忸怩たるものがあった。今月、これを読んで心底救われた。今までの姿勢を貫いてよろしいとこの天下の指揮者にお墨付きを貰った気分になった。もう一度要約すれば、①専門知識より心、②いろいろな感じ方があっていい、③音楽は動いているもの、④言葉では言い尽くせない心、この四要件になる。
相当以前の話だが、うちでクラシックファンが集まってクラシック音楽について語り合ったことがある。この機会にそのことについても少し触れておきたい。
まずこんな質問が出た。クラシックはどこで聴くものか。A君「ロックなどはからだ全体で聞く。演歌などは胸で聴く。クラシックは頭で聴くものと考えられがち」B君「クラシック愛好者も最初は胸で感動していたが、知識が増えるにつれ頭で聴く傾向が出てきた。クラシックには教養主義的、形而上学的色彩が濃く、俗化させたくない意識がある」B君「よって<超技巧…>などと一般受けしない表現が多い。「英雄」などの副題があると大分違う」中西「マニアックな人たちの話題にはついていけない」
次の質問。本当にクラシックファンは少ないのか。C君「隠れたファンはいるにはいるが自らファンと名乗ることは少ない。何かのキッカケでそれが判明する。次。クラシックはどうして近づきにくいのか。B,Dの両君「今は視覚偏重の時代。視覚に訴えられないものは受けない。聴覚だけでは物足りない」E、B君「今はインスタントな時代。ちょいちょいといいところだけをつまみ食いする時代。長々と半時間、一時間と聴く辛抱がない」中西「今はラフな時代。姿勢を崩さず、咳一つせず、静かに居座る苦痛に耐えられない」次。クラシックの質は。D君「クラシックは20世紀前半までに作曲されたもので作曲者の顔が見えない。親近性がない。舞台の演奏家と聴衆の間に一体感がない。舞台と客席の間の物理的、心理的距離が問題」B君「楽譜に忠実に演奏することが求められるものゆえ、創造性に乏しい」など。
前号でも書いたが、人それぞれに好きな音楽を聴けばよい。それが心を打つものであればジャンルを問うことはない。しかし今あらためて思うに、他のジャンルの音楽を聴いて、今のようなコメントが書けるだろうかと。むしろクラシックだからこそ書けているような気もする。それほど強くクラシックは私の心を打っているのかも知れない。
ホームページ
www.diana.dti.ne.jp/~tmcjapan
 
(2004.2)

2021.07.01

英語耳は中年からでも進歩する!

 私は今年5月30日にアマゾンの電子書籍で「英語耳は中年からでも進歩する!」を発行しました。また6月22日にはそのペーパーバックスも発行しました。(www.amazon.co.jp/dp/b0967zn42q )

戦前生まれの私は学生時代から英語放送を聞きたい一心で色々試しましたが、どれも長続きしませんでした。そんな私が50歳も回ったとき、たまたま英語放送だけが聞けるラジオをみつけました。それがすべての物語の始まりです。長い長い旅路でしたが、この歳になって聞けるようになりました。その旅の模様を詩的にかつ論理的に語ったのが本書です。宣伝していただければいよいよ嬉しいです。

2021.05.18

Spring Joint Concert 客演:青柳いづみこ先生(ピアニスト、文筆家)

 今日も昨日に引き続きサロンでジョイントコンサートがあった。客演はピアニストで文筆家の青柳いづみこ先生。そのラヴェルの組曲『マ・メール・ロワ』の演奏はプログラム作成時から楽しみにしていた。私はかねがねラヴェルが好きだ。「鏡」の絵も描いた。今日はその演奏を聴きながらなぜラヴェルが好きなのか、どこが好きなのかあらためて自問自答してみた。聞きながら頭を過ったのは、おどけ、諧謔、皮肉、逆転などの言葉だった。なるほどそのような要素は私にもある。これはダンディズムだ。クールで、言葉巧みで、しゃれっ気がある。ラヴェルはそんな曲を作ったのだ。それを青柳いづみこ先生と乾将万さんが連弾で見事に表現されたのだった。もう一つの音楽美だった。

2015.03.22

79歳を迎えて

  今日、私は至って元気に七十九歳の誕生日を迎えた。もう一年すると八十台に突入することになる。七十台の最後を送る今、どのような気持ちでいるか、後日のために書き残しておかなければならない。後期高齢者入りしてからもあっという間に四年が過ぎた。が、いまだ一向に齢が行ったという自覚がない。それどころか一時に比べて若返った、元気になったというのが、強がりでなくて本当のところだ。七十歳の古希を迎えた頃から時々、徒然なるままに年寄りになっていく心境をエッセーとして綴ってきたが、それらを今読み返してみても、その頃の方が今よりも年寄り臭かったと断言できる。

 定年の六十二歳から今の七十九歳までの越し方を少し振り返ってみよう。現役の頃は仕事や人間関係のストレスで疲れ、フランス語でいうセラヴィー(これが人生か)といささか諦めの境地にあったが、定年でそれらから解放され、引っ越した湘南国際村の新地で自分でも気付かなかった未知の自分に遭遇したのが六十四、五。その頃から妻の企画するクラシック音楽の素人評論をし、生まれて初めて絵筆を握って油絵を描き、五行歌なる詩歌を作り、徒然なるままにエッセーまで書くというビジネスマン転じてアーティストもどきの生活を送るようになった。
 精神的に充実してくると、肉体的にも張りがあり何の衰えも感じなかったので、七十歳のときには「古希通過展」と称して絵画、五行歌、音楽評論、エッセー集の個展まで開いた。七十二、三からは欲が出てそれらに加えて書もやり出し、新たな境地を味わった。定年から十年が経ち、俗世から離れた好々爺の心境になっていた。当時、音楽関係で海外に旅することも度々、元気そのものだった。
 「健全な精神に健全な身体は従う」と当時受け止めていたが、七十三歳と数か月した時、定年後初めて健康診断を受けたら前立腺ガンの疑いがあることが判り、京都で二か月間入院するはめになってしまった。しかし、幸い大事に至らず全治するほどに回復したが、時あたかも後期高齢者入りの頃で髪の毛は薄くなり、少し疲れ気味の様相が出てきた。
 退院したのが2011年の暮、明けた翌年正月頃からどうしたわけか家で食べる料理が何もかも美味しい。妻に訊くと最近、料理はすべて水素水でやっているという。なるほどその水がものを言ったのだ。野菜も米も最近は農薬や防腐剤漬け、つまり酸化しているわけで、それが水素水で還元されてきれいになっていたからだった。酸化とはサビのこと。水素水で還元すれば、サビがとれて文字通り、元に還るわけだ。そう合点した私は、私のこのサビた身体も水素水を飲めば、きっとサビがとれるだろうと思い、この三年間飲み続けた結果、まさしく若返ったのだ。薄くなっていた髪の毛はまた生えてきたし、顔艶はよくなったし、ツルツルだった足の脛にまた長い毛が生えてきて正直驚いた。
 もう一つ、いいことがある。それは、チタン、ゲルマニウム、カーボン、シリコンなどの素材からできた「枕」を首の所にあてがいながら毎晩眠ると肩が一切凝らなくなったことだ。昔はよく肩を凝らしたもので、読書好きだが歳が行くに従い長く読み続けると目がショボショボして肩が凝る。そうなると疲れて元気がなくなったが、今ではいくら本を読んでも、パソコンしても翌朝すっきり目覚めて一日中疲れ知らずの元気さで日々暮らしている。
 
 チタンやゲルマニウムは体内の電流を調整することにより、その熱で凝った筋肉をホグし、カーボンは炭で、炭が放射する波動エネルギーで血行をよくし、シリコンは大量のマイナスイオンを帯びた物質だから、そのマイナスイオンであらゆる代謝を助けるという。石原裕次郎の「錆びたナイフ」ではないが、私の錆びた身体も水素水でまたピカピカに光り、このような物質素材で脳みその切れ味も少しはよくなっていると思っている。ここに来て私の思いは逆転した。やはり「健全な身体に健全な魂は宿る」ものだと。
 水素水は海馬にもよく効きアルツハイマー病の治療に使われているとも聞く。この関連で私の最近の体験を述べてみよう。それはNPR(National Public Radioの略。アメリカ国内放送の一つ)の聴き取り感度が非常によくなってきたことだ。五十歳を回ってから海外放送の英語を一から聴くような奇妙なことに挑戦し出したのは日本広しといえども私ぐらいかも知れない。最初の十年間の体験を「私の英語遍歴」にまとめて定年時に自費出版したが、正直その出版時点ではまだまだ放送内容が聴けたものではなかった。
 しかし、ここにきて放送内容が英語というより意味として、要旨として七割程度理解し始めたと思うことだ。ここまで来た以上、あと一年、八十歳の傘寿の時点で八割五分ぐらいにはもっていきたいものだ。
 音声医学専門のアルフレッド・トマティス博士が、「四十歳を過ぎたらバイリンガルになるのは昔から不可能というが、それは根拠のない説、九十歳まで可能だ」と言っているが、私はそれを自分で証明したいと思っている。
 そのためにも今後も水素水と枕は欠かせない。歳が行くに従い衰えるのは当たり前、病気するのもやむを得ない、これは自然の道理、そうかってに思って人生を諦めたくない。コーカサス地方の百歳のようにそれまで元気に生きて十日間でコロリと行くようなお年寄りに私もなりたい。
(水素は元素の中で一番小さく、一番軽いものである。したがって容器から少し時間が経てば、みな抜けて逃げていく。私の愛用している水素水や水素蒸気はその場で精製したものだからよく効くものと思われる。)(2015.3.22)
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