芦屋のクラシック音楽コンサートホール

兵庫県芦屋市東芦屋町3-9
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ブログ

2021.08.17

本出版後3.5ヶ月目のリスニング感触

 『英語耳は中年からでも進歩する!』出版後3.5ヶ月後のリスニング感触

 私が今年6月22日に出版した『英語耳は中年からでも進歩する!』(ペーパーバックス)の中で、「11.いよいよ完成に近づいた」、「12.FENリスニング完成、目標達成」(p76-77)と書いたのは今年5月3日の放送を聞いてのことだった。それからまた3.5か月が経過した。この8月初め頃からまたリスニングの感触に少し変化が現れ出した。それが顕著になったのはこの8月15日だ。その感触がまだこの身体に残っている間にメモにして残しておきたい。
この3.5か月の英米報道を振り返ると、世界的にやはりコロナの感染拡大が大きな話題だったが、東京オリンピックの話題も大きかった。それらに加えて、地球温暖化や異常気象による大規模な山火事発生や大洪水災害もあった。7月初め頃からはアフガニスタンにおけるタリバンの動きが報道され始めたが、8月入りで急展開を見せ、ついにこの8月16日、首都カブールが陥落した。
このようなニュースを連日2時間ほど聞いていると、報道の語句や文体、背景情勢に慣れてくるのだろうか。ぐっと理解度が進んだようだ。この半月間、日を追う毎に理解度が目に見えて上がってきたが、一体、脳内でどのような状態、どのような現象が起こっているのだろうか。
国際報道はだれにでも容易に理解できるものではない。英米語による国際報道は日本人にはまるで「ネコに小判」である。小判を小判として価値あるものと認めるにはネコがヒトに変るほかない。私はネコ、つまり日本人、それから英米人になることを選んだ。
 ネコ(日本人)にも額(英語脳)はあるが小さい。ヒト(英米人)並みになるために実質20年近くを要したが、段々とそれができてきた。「基盤完成した」と見做したのが今年5月初めだったが、この3.5ヶ月で応用編も相当に進んだ。
 基盤の上に応用も進んだこの時点であらためて英語リスニング理解とは何か、もう一度、私なりに定義してみた。
リスニング理解とは、ある一定時間内に、時間経過に従って、脳内に描く、ことばによる、アナログ的な、イメージの全体像である。
英米放送のアナウンサーが話す速度は分速約180語である。つまり秒速3語。一息にしゃべる言葉は約9語だ。一息を3秒として、1秒後、2秒後、3秒後と時間に従って脳内に形成される、3語、6語、9語のことばによる、アナログ的な(ぼわーんと広がる)画像の全体像である。
 
 たとえば、次のような英文でどのようなイメージを描くか。
  Chaos erupted at Kabul’s airport as thousands of Afgans/ were left uncertain of their safety and livelihood after /Taliban forces in Afghanistan occupied the capital city.
.
3秒後  大混乱、起こった、カブール空港で、数千のアフガン人が
6秒後  残された、不確かなまま 安全と暮らしが、後
9秒後  タリバン勢力 アフガニスタンの 占領した 首都を
これらのイメージが全体として意味ある画像として残らなければならない。
先に進むにつれて前を忘れるようではならない。
これができる前提は
① 音が音として聞こえなければ何事も始まらない。
② 聴き取れた一語一語の意味が解らなければならない
③ 語間の関係や句節間の関係が結ばれなければならない。
④ テニオハ関係がはっきりしなければならない。
⑤ これら一切がきわめて速く処理されなければならない。
⑥ すべての大意が(細部は忘れたとしても)記憶として残らなければならない。
私の過去3か月半の進歩はこの中の特に③と⑥が顕著であったと感じる。
③語間や句節間の関係を結ぶのが糸だと考えると、その糸数が大きく増え、目が混んできたと感じる。
⑥記憶に残るためには記銘度が強くなければならない。印象が強ければ強いほど記銘度は上がる。イメージが膨らめば膨らむほど言葉の印象度が膨らみ、記銘度が上がり好循環が生まれる。
さらにまた4か月が経つ今年年末のリスニング感触はどのようなものになるか今から楽しみである。                         
                          (2021.8.17)

2021.07.12

英語耳は中年からでも進歩する!

 本年6月22日にアマゾン社から売り出した小生の紙の本「英語耳は中年からでも進歩する!」が、”英語耳”の新着ランキングで1000件以上あるうちの上位に来ています。嬉しいことです。実物はこの写真です。

2021.07.06

私はカラープリンター

 今日は2021年7月6日(火)、朝からベッドの中でジョー・バイデン大統領のアメリカ独立記念日(7/4)の演説を聞いた。普段の話しぶりと違って元気溌剌とした表情で、強いアメリカがまた戻ってくると力を込めていた。コロナパンデミックがワクチン効果で次第に薄れ、人の行動にも変化が出始めた、いよいよこれからだというのだ。このように相当程度によく聞き取れ理解できるまでになった。この理解の様をどう説明すれば、皆さんに、また後日の私に、今の私の理解状態が解ってもらえるだろうか。

  ふとカラープリンターから出てくるカラー写真を思い出した。赤、青、黄のインクがしかるべくうまく混じり合えばきれいな写真が出てくるが、インクの一部でも不足すると妙な写真になる。またインクは十分でも複雑な絵をコピーしようとすると、インクの調合に時間がかかってなかなか紙が出てこない。この様が今の私の英語放送の聞き取り具合をよく表している。
  私はカラープリンターだ。そして私の脳は赤、青、黄のインクであり、それらを調合する肝心な働きだ。インクの貯まり具合も調合する働き具合もすべて脳の神経回路のつながり具合にかかっている。普通のインクタンクと違うところは普通のインクタンクは減る一方、このインクタンクは増える一方だ。プリンターには原稿を置くガラス板がある。それに相当するのが耳だ。耳に外部から入ってくる情報を置き、スタートをクリックすると原稿が3色で調合される。この脳の場合、3色とは何だろうか。赤は音(発音)、青は文法(構文)、黄は知識(情報)だ。赤の音(発音)が聞き取れなければ何事も始まらない、しかし聞き取れてもそれが青の文法(構文)でうまく調理され、黄の知識(情報)で味付けされなければ、何を喰っているのか分からない。
   さて、今の私のインクの貯まり具合はどうだろうか。長年の蓄えで赤の音(発音)インクは相当充満してきた。だから赤部分のコピーは相当進んでいるとみなしてよい。青の文法(構文)はどうか。簡単な原稿ならいいが、英語放送は複雑な絵をコピーしているようなものだから、構文処理に時間がかかりかすれたまま出るしかない。黄の知識(情報)はどうか。これは今からというところだ。これらのインクは独立に使われはしない。他のインクと調合しながら使われる。その調合を行っているプリンターの肝心部分が、脳でいえば前頭葉だ。この機能の全面発揮にはまだまだ時間がかかりそうだ。
                           (2021/7/6)

2021.07.02

学社地遠の友(学友・社友・地友・遠友)

  生まれてはじめて意識した友は実家の隣に住んでいたKちゃん、文字通り竹馬の友だった。物心ついた頃から小、中学校までともに暮らし、渾名で呼び合う仲だったが、いつしか音信不通になってしまった。いつまで経っても幼友達はいいものだ。あの頃のことばで一言声を掛ければ時間を超えて昔が戻ってくる。心の湖底に沈んだ堆積物がその一言で掻き回され、懐かしい日々がよみがえってくるからだろう。

 この幼い日から大学までともに学びともに遊んだ友、学友は朝の友、会社に入り定年まで苦楽をともにした友、社友は昼の友、定年以後、ともに好きなことをして支え合った友、地友は夕方の友、そして今、われわれ夫婦の音楽会社に集う遠来の友、遠友は晩の友である。
 朝は希望。朝6時半に目を覚ました児童が7時には小学校に、8時には中学校に、8時半には高校に、そして9時には大学に進んだイメージだ。まだ寝とぼけていた小、中学校、目覚めてきた高校、この頃の友が今一番懐かしい。目覚めながら互いに精神的背骨を作った思春期だった。大学ではもう違う背骨をもった友が多くいた。こうして22歳までともに過ごした学友は(友)情に富み、意(欲)に溢れていた。かれらはその後どんな昼を送り、今どんな晩を送っているのだろう。
 
 昼は夢中。新入社員として働きはじめた10時、仕事に慣れた12時、働き盛りの1時2時、疲れはじめた3時、頭が回らなくなった4時、この間を夢中に過ごしてきた。そこで出会った友はやはり学友とは違っていた。みな、はじめから覚醒した違う背骨をもった大人ばかりだった。組織という名の檻の中はとかく窮屈でじめじめもしていた。目的達成のためには知(恵)と意(志)が尊重され、ときに情は捨てなければならなかった。そんな中で切磋琢磨する社友は逞しい同志だったが、そのうちに疲れも出てきた。学友が情・意だったのに対し、社友は知・意、総じて社友が学友よりドライに見えたのはその所為だろう。その社友はかつてどんな朝を送り、そして今、どんな晩を送っているのだろう。
 夕方は残照。一般に会社人間は、定年後は淋しいものだ。今までのように四六時中ともに過ごせる友はいないし、4時から新たな友を作ることは至難であり億劫でもある。趣味の合う趣友がいても地理的に離れていてはそうそう会えない。
私の場合、ここに登場してきたのが同じ地に住み、仲良くしてきた地友である。4時からの友といえる。同じ新興の地に住む“好きなこと仲間”だ。“村のミニコミ誌会”“漢詩の会”“混成コーラス”“絵画同好会”“有志のカラオケ会”“書道同好会”“異文化研究同好会”の仲間で、女性、男性、壮年、熟年、初老、現役、リタイア、出身も職歴も区々の、まことにおもしろい多士済々だった。彼らとは情が通じ、知が共有できた。かれらの午前や午後はどうだったのだろう。
 定年後引っ越した湘南国際村は湘南の富士山の見える景勝の地で、高い丘の上に立つ村は開発したてで真新しく、住民も新入村者ばかり、他の地域から自然条件的に隔離され、戸数も少なく、それだけに同朋意識が湧く。定年後、あるいは定年直前に引っ越してきた村人は多分にロマンティストで、言わず語らずの粒揃いだった。
 互いに知らない地でこれから助け合い、支え合って生きて行くためにできた同好会では、他人事に田舎のように詮索も介入もせず、といって都会のように冷たく、我関せずでもなく程よい家族ぐるみの新地縁関係が続いた。この地友は知(的)で情に厚い友であった。
 色んな分野で、酸いも甘いも噛みしめてきた4時からの友は和紙のように美しい。お互い何のしがらみもない。その話に耳を傾けると深く味わいのある余韻が響き、彼らの、私の知らない朝や昼まで想像させてくれた。4時から知る別世界、これらを開陳してくれる貴重な地友こそ稀有な癒しの友だった。が、晩になる前にかれらと別れを告げた。
 地友関係は2013年まで続いたが、喜寿を迎えた私は突然里心がつき同年、関西芦屋に引っ越した。晩年にふさわしい晩の始まりだ。
 晩は寡黙。芦屋ではわれわれ夫婦が建てた音楽ホールに外国勢も含めて遠来の客が集い始めたが、昨年来のコロナ禍でそれも叶わないところとなった。デジタル時代とあってメル友やフェースブック友が増えた上、ZOOMとやらでズームアップはしているものの半人半ロボの感じは否めない。かれらを純然たる意味で友と呼ぶには抵抗がある。距離的に年齢的に心理的に皮膚的に遠い存在の友だからだ。かれらの過ごしている一日にはもはや関心が薄れた。しかし、晩の友は晩年にふさわしく、濃厚でない、あっさりした知情意レスの友の方が似合うのかも知れない。
                                       (2021.7.2)

2021.07.02

パリ国立高等音楽院教授、イヴ・アンリ氏とともに

 

夜空に蒼く輝く月、その光に照らされた白い雲片。その下に広がる喜びの島、月の光が島の稜線を照らしている。海はどこまでも暗く黒く底に向かって神秘の光を放っている。海上に生起する寄せては返す虹の波。アラベスク風の高台で水を吐く噴水。独り高く上がっては崩れ落ち水盤を満たす。水の反映だ。これはドビュッシー没後百年を記念して私が描いた詩的散文の絵である。

今日のイヴ・アンリのピアノを聴きながら絵に共通しそうな楽想に想いを馳せていた。ショパンがピアノの詩人と呼ばれ、画家のドラクロワと色彩感について大いに論じ合ったように、ショパンの後継者のドビュッシーもまたいかに音で色彩を表わすかで苦しんだようだ。イヴ・アンリの演奏を聴いていて、曲の楽想がそもそも脳裏になければ、それを表わす色彩感も何もあったものではない。音楽を志す人は音楽以外にもっと詩や文学、絵画にも関心を示してほしいと思った。天に向かい、水底に向かって放つ神秘の色は最弱の、無音の長い音ではないだろうか。
2012年7月ブリジストン美術館で開催された「ドビュッシー、音楽と美術-印象派と象徴派のあいだで」の解説書を読むと、次のようにある。ドビュッシーが、神秘への嗜好、彼岸への逃避の絶えざる憧憬を持ち、内省と不安の象徴的風景である深淵のほうを向いていた。音楽の定義でも、ドビュッシーは迷わず暗闇のイメージを選んだ。  「音楽は語りえないもののために作られる。私が望むのは音楽があたかも影から外に現れ出たかのように感じられること、そして折々影の中に帰っていくこと…」で、あまり明るいものは好まなかったようだ。それでこのような闇の絵を描くことにした。
                         (2018.9.16)

aiuwep

2021.07.02

四柱推命と私の今

 生まれた年、月、日、時を四つの柱として人の運勢を占う四柱推命は私にとって興味以上のものである。これをある種、科学以上のものとして私は捉えている。四柱推命のややこしい理論は横に置くとして、その背景となっている宇宙の営みに私は目を見張る。「胎児の世界」(中公文庫)の著者、三木成夫は、p184で、森羅万象を貫くリズムの本質を明らかにし、どんな生物の食と性の営みも年・月・日のリズムと厳密に結びついていると述べている。同じ軌道を循環しているように見える月や太陽も年とともに位置を変え、同じ定点に一時として留まらない。人の一生もこの軌道に影響されるものらしい。

 人には宿命と運命がある。宿命は生まれながらにもつ性質や運勢、運命は運ぶ命、巡りあわせとなる吉凶禍福の運勢である。どの定点で生まれたかで宿命が決まり、これからどのような軌道をめぐるかで運命が決まるという法則だろう。
私の宿命はどの書を紐どいても大体同じで、私の性質の要約はこんな具合である。
 「日からの判断…研究や学問の分野で力を発揮。カンが鋭く、観察力や分析力が高い。地道にコツコツ努力する。好き嫌いが激しく、協調性はあまりないが、大きなやさしさを秘めている。潔癖で少し独善的なところがある。月からの判断…宝石のキラメキが水の流れを輝かせる絵となり、品格があり、知的な人物。対人面ですこしチグハグなところがある。しかし物腰が柔らかく穏やかで人から好かれる。少し見栄を張るところがある。毒舌家の面もある。押しが弱く、二番手に徹することが多い、…」このように言われるともうほとんど信じたくもなる。なぜ、ここまで私の生年月日(時間は普通分からないことが多いため、実質は三柱推命)だけで解るのか。
次に私に運命を見てみよう。□を書いて、上を北、下を南、右を東、左を西とする。そして一辺を3等分すると、□が12等分される。つまり十二支の12となる。北の真ん中を(子、ね)とし、右周りに(丑、うし)、(寅、とら)(卯、う)…とし、最後に(亥、い)を(子、ね)の左隣にすると輪が一巡する。このそれぞれを10年とすると完全に一巡するのに120年がかかることになる。
私は三月生まれ、つまり(卯、う)月の生まれは右辺の真ん中、そこからグルっと右廻りする(ある計算式で左周りもある)。私が(卯、う)を離れて(辰、たつ)になるのは5歳の時(ある計算式で算出したもの。人により違う。)以後10年刻みで、15歳で東から南へ折れ、25歳、35歳、45歳と進み、西へ折れ、55歳、65歳、75歳と進み、北へ折れ、今真ん中の85歳にいる。今後、長生きすれば95歳となり、東に折れ、105歳、115歳、となって元の5歳に重なることになる。一辺が30年だが、その方向が変わる時が大変化、同じ辺内の刻みでは小変化が訪れるという。
 人それぞれの特有星がこの軌道を回るとき、人それぞれに、その特有の運命が訪れる。
星は木、火、土、金、水の5種があり、そのそれぞれに陰陽二つがあり全部で10種類となる。これが干支(十干十二支)の干に当たる。私の星は水の陰で、この星が悪い運勢を辿り始めるのは南から西に折れる45歳から。とくに45歳から55歳が最悪、それから徐々に回復、これが北に折れる75歳からの30年間は幸運に変わるとある。思い返せば私が四柱推命を知ったのは50歳過ぎ、ニューヨークから帰国した直後だった。男にとって一番大切な管理職時代(45歳~55歳)に一番くさっていた。その時にこの運勢を知り、「なるほど、今が最悪なのは定めなんだ。これから徐々に悪条件を脱し、60歳の定年から上向き、北に方向転換する75歳からは大いに希望が持てる」と思ったものだった。
これが予想通りというか占い通りになったのだから驚きも驚き、もう私はこの四柱推命を疑えない。とくに今、85歳になってそれが顕著になった。占いは陰暦がベースなので今回の自費出版もはじめから2月以降と定めていた。この出版でまた新たな人生が始まりそうだし、今日からThe Music Center Japan のホームページも装いを新たにした。この節目に当たりこのようなエッセーを記念に認めた。
今や私にとって四柱推命は迷信でもなければ当たるも八卦、当たらぬも八卦的存在ではない。人生一生の確かな道しるべとして神妙に考える術である。
                         (2021.7.2)

2021.07.01

マンハッタンとの対話

 ミルバーン・ホテルの三百九号室で今朝目覚めたのはまだ暗い五時半頃だった。隣のベッドではN君がまだ気持ちよさそうに眠っている。外の音がする。ガタガタとトラックが走り去る音がブロードウエィの方から聞こえ、犬の吠える声がする。人の声も聞こえたようだ。昨日、ノースウエスト機で十一年ぶりに訪れたニューヨークは私の頭の中で徐々にそのかたちを作り出そうとしている。今、泊まっているこの西七十六丁目からセントラル・パークを横切って東側に出ればかつて住んだ東七十三丁目や東八十四丁目に出られる。そのあたりは今どうなっているのだろうか。セントラル・パークの落ち葉はもう盛りを過ぎたのだろうか。そんな想いに耽りながら、もうベッドから起き上がっていた。六時十分服を着替え、そっと階下に降りて行った。

ホテルの玄関を出て東の空を仰ぐとまだほの暗く街灯の灯りの方が明るい。しかし、わずかに白みがかってきていて建物の黒いシルエットが美しい。晩秋の空気が肌をさし快い。早起きのアーリーバードたちが犬を連れてホテルの前を過ぎていく。一日の始まる朝の静かな息吹きが私はことのほか好きだ。四、五階建ての堅牢な石、またはコンクリートのアパートが舗道の両側に立ち並びいずれも同じような階段つきファセードを持っている。大きな西洋犬を連れた中年の男女が犬に引っ張られて黄褐色に染まった街路樹の下を勢いよく通り過ぎていく。セントラル・パークに入ると晩秋の風情がいっそう色濃く迫ってくる。手前の樹木も向こうの樹木もみな黄色というより赤褐色に染まり、その樹木の間を縫うように走る舗道を色んな人がジョッギングしている。週末のニューヨーク・マラソンを控えて色とりどりのウインドブレーカーが賑やかだ。パークの向こうに顔を出したプラザ・ホテルの建物や振り返ったときのダコタの城状建物が懐かしい。しかし、セントラル・パークって横切るのにこんなに時間がかかっただろうか。久しぶりの散策で遠回りもしているし、ちょろちょろ小走りに出てくる可愛いリスに見惚れもしているが、こんなに時間がかかるとは思わなかった。きっと日本の小公園に慣らされているからだろう。マンハッタンからセントラル・パークを失くしたらどんな都会になるのだろう。人工的な高層ビルで埋め尽くした都会だからこそ、こんな自然な大公園を真ん中に置いてバランスをとっているのだろうか。
そんなことを考えながらうろついている間に東八十四丁目のメトポリタン・ミュージアム横に出た。いよいよ懐かしい東側だ。すっかり明るくなった街を、車が、人がいく。幅広い舗道、頑丈な石の建物が威風堂々と並ぶ。かつて住んだ東八十四丁目の一番街と二番街の中間に位置するアパートを眺めてみる。いささかも変わっていない。はじめてニューヨークを旅する者ならこんなアパートにだれが住むのかと興味を抱くところだが、私にはそれがない。まぎれもなく私自身その住民だったからだ。いっかどニューヨーカーぶっていた頃の私の残影を私は今あらためてみた思いだ。よく歩いたサード・アベニュー、レキシントン・アベニュー、パーク・アベニュー、マディソン・アベニューを縫いながら東七十三丁目のかつての単身寮も眺めてみた。ここも一切変わっていない。堅牢な建物は外観から見る限りなんらの変化もない。くすんだチョコレート色のアパートはそのままだ。
ここまできたときふっと私の頭を過ぎるものがあった。それはもう一度ニューヨークという都会を私なりに定義してみたかったことだ。私はそれをDUEとした。Dはdiversity、Uはurbanity、Eはethnicity、つまり、雑多性、都会性、人種混在性だ。ニューヨークにはあらゆることの極端がある。道一つ隔てて違う文化が棲息している。美醜を越えた美がある。強いアクセントが存在する。私は同じ方向に群れたがる日本より一人一人の個性を重んじるこの街が好きだ。ニューヨークは真の都会だ。自然の美も美しいが石とガラスとコンクリートの人工美で構成した都会美こそここの生命だ。そして刺激的だ。ニューヨークは一切のまがい物を拒絶する。本物だけが生きる魅力ある街だ。そんな都会が私は好きだ。ニューヨークは人種のるつぼだ。あらゆる人種があらゆる文化の花を咲かす。ブロードウェイのあのくったくない黒人の歩き方を見よ。地下鉄の乗客を汚いとみるか、危険とみるか、それはみんなの勝手だが、私には人間と映る。強烈な個性を発散する人たちだ。こんな鏡に映したとき、どんなに日本人が精彩を欠くことか。色んな人種が愛するニューヨークを私も愛する。こんなニューヨークはこんな私を愛してくれるに違いない。
さて今日から始まる音楽の旅、リンカーン・センター、カーネギー・ホールが新たなるパンチとビートをわれわれに与えてくれることを祈りつつ。 (1997年11月14日)

2021.07.01

齢と脳

 齢と脳

齢も80を過ぎると、いよいよ「自分らしさ」を追求したくなる。One and onlyの世界である。
人間には二つとして同じ顔がないように人はみなそもそも唯一無二なものだが、生き方をベースに考えると、そこには類型があり、必ずしも唯一無二とは言い難い。今日も世界陸上の模様をテレビで観戦していて、勝負を争う選手の生き方に相違があるとは思えなかった。
それでは、人がその人らしく、他人と違った生き方をしているとはどういうことか。それはその人の脳に刻まれた痕跡、形跡が他人のそれと違っていることだ。
人は生まれ落ちた瞬間からそれ以来、休むことなくどの瞬間も脳を使わずに生きてはおられない。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、人の言動は生後から現今まですべて脳の支配するところであり、その形跡は記憶され、よく使う脳の部位はよく発達し、強化され、使わない部位は未発達のままで残る。
私は人をざっくりと動詞型、名詞型、形容詞型の三種類に分類する。動詞型は行動派、名詞型は知性派、形容詞型は感性派で、だれでもこれらのすべての要素を大なり小なり持ち合わせているが、とくにその人の目立った部分で色分けしている。動詞型の典型はスポーツマン、名詞型のそれは学者、研究者、形容詞型のそれは芸術家といった具合である。
人がどうして今の職業についたか、それはその人の脳に訊けば解る。幼少の頃からの色々な生活体験が脳に刻まれており、それが得手ないし無難と思われた職業を選ばせたのである。そしてその職業に付くことにより、いよいよその方面の脳部位が発達し強化された。反面、少しも使わない部位は未発達のまま残された。
 
ここで私の場合を取り上げてみる。明らかに形容詞型である。
私の幼少時を辿ると同居していた祖父が表具師だったため物心ついたときから書画骨董を身近で無意識ながら見てきた。無意識ではあるがそれにより私の視覚神経部位が幼少の割には発達していたかも知れない。それがいうところの三つ子の魂となり、発芽となってそれ以後どの年齢においても美術に対する関心はあり、それが強まり今日に至って絵を描いている。
また父が私の幼少の頃からこれからは英語が大切と説いたことから英語好きになり、学生時代を通じ、また社会人になってからも英語を鍛えたが、それらはすべて私の言語中枢を発達させ強化させた。
美術や英語が好きになったのはこのような次第である。
そこに新しく加わったのが音楽である。
結婚するまで私の生活環境に特段、音楽に言及するほどのことはなかった。これまた脳のよく知るところで、この聴覚神経が発達していたとは到底思われない。
しかし、妻が音楽に特化した女性だったため、次第に音楽に目覚めた。しかし、それは三十歳半ばからで、運動神経が未発達な私に、運動神経のいる楽器を扱うことは不向きと断じ、できるのは音楽鑑賞だった。とくに定年前後からはクラシック音楽を中心に聴いてきた。自前で音楽ホールを作ったこともあり、このホールや他の場所で催したコンサートも今や500回以上を数え、常に演奏家の生の音に接してきた。これが私の聴覚神経を異常に発達させたことは間違いない。
話が少し元に戻るが、私の英語好きの特長は、リスニングにある。51歳から始めたアメリカ国内放送の聴き取りである。まだ聴き取れたとは言い難い。が、間違いなくその聴覚開発途上にあり、これからが楽しみな領域に入った。
 
世の中には美術の専門家も音楽の専門家も英語の専門家も沢山いる。その人たちにとって、それはその専門領域であり、たやすく他人が追随できるところではない。英語の場合は少し違う。ことは読み書きではなくリスニングである。中でも米国の国内放送が聞けるリスニングである。例外はあるとしても帰国子女でなければできる技ではないと思う。
80を回った私の「自分らしさ」をいよいよ磨いて行くためには、以上の三つ、絵描き、クラシック音楽鑑賞、英語リスニングの総合である。音楽の聴覚野と英語の聴覚野、これらは脳部位でも近くに居合わせ何らかの相互作用があるはずである。また絵画の視覚野も音楽の聴覚野と視聴覚として底辺で繋がっているかも知れない。
これからの脳活性化が精神的、肉体的若さ保持の秘訣である。
(2017.8.9)

2021.07.01

クラシック音楽って

 日、かつてベストセラーになった「絶対音感」(最相葉月著)を読み直していて、あの世界的に有名な作曲家にして指揮者、L.バーンスタイン(ミュージカル“ウエストサイド物語”の指揮など)の「音楽って何?」と題する言葉に出会った。孫引きの上、我田引水めくので恐縮だが、ちょっと引用してみたい。「…大切なのはこのリズムが僕たちを興奮させ、ワクワクさせてくれること。…ワクワクするのは、ワクワクさせるように音楽が書かれているから。…みんなだって何かが自分に起こったとき、踊ったり歌ったりして、自分の気持ちを表現してみたくなることってあるでしょう?絶対あるよね。作曲家にもあるんです。…音楽の意味っていうのは、これなんです。シャープとかフラットとか和音とか、むずかしいことをたくさんわかる必要はないんです。もし、音楽が何かを私たちにいおうとしているなら、その何かというのは物語でも絵でもなく、心なんです。もし音楽を聴いて、私たちの心の中に変化が起こるなら、音楽が私たちにもたらすいろいろな豊かな感情を感じることができるなら、みんなは音楽がわかったことになるのです。音楽とはそれなんです。物語や題名はそれに付随したもの。そして、音楽が素晴らしい点はみんなにいろいろな違った感情をもたらすことができること。それには限界なんてないんです。…音楽は音符の動きです。忘れてならないのは、音楽は動いているということ。たえずどこかへ動き続けます。音符から音符へ飛んで、変化して流れていきます。そしてそれが、何百万という言葉でもいい尽くせない心を伝える方法なんですね」

(p240~242)
私自身、音楽はそのようなものとずっと考え、その考えに基づき自分のホームページを作ってきた。が、内心いつもどこかで忸怩たるものがあった。今月、これを読んで心底救われた。今までの姿勢を貫いてよろしいとこの天下の指揮者にお墨付きを貰った気分になった。もう一度要約すれば、①専門知識より心、②いろいろな感じ方があっていい、③音楽は動いているもの、④言葉では言い尽くせない心、この四要件になる。
相当以前の話だが、うちでクラシックファンが集まってクラシック音楽について語り合ったことがある。この機会にそのことについても少し触れておきたい。
まずこんな質問が出た。クラシックはどこで聴くものか。A君「ロックなどはからだ全体で聞く。演歌などは胸で聴く。クラシックは頭で聴くものと考えられがち」B君「クラシック愛好者も最初は胸で感動していたが、知識が増えるにつれ頭で聴く傾向が出てきた。クラシックには教養主義的、形而上学的色彩が濃く、俗化させたくない意識がある」B君「よって<超技巧…>などと一般受けしない表現が多い。「英雄」などの副題があると大分違う」中西「マニアックな人たちの話題にはついていけない」
次の質問。本当にクラシックファンは少ないのか。C君「隠れたファンはいるにはいるが自らファンと名乗ることは少ない。何かのキッカケでそれが判明する。次。クラシックはどうして近づきにくいのか。B,Dの両君「今は視覚偏重の時代。視覚に訴えられないものは受けない。聴覚だけでは物足りない」E、B君「今はインスタントな時代。ちょいちょいといいところだけをつまみ食いする時代。長々と半時間、一時間と聴く辛抱がない」中西「今はラフな時代。姿勢を崩さず、咳一つせず、静かに居座る苦痛に耐えられない」次。クラシックの質は。D君「クラシックは20世紀前半までに作曲されたもので作曲者の顔が見えない。親近性がない。舞台の演奏家と聴衆の間に一体感がない。舞台と客席の間の物理的、心理的距離が問題」B君「楽譜に忠実に演奏することが求められるものゆえ、創造性に乏しい」など。
前号でも書いたが、人それぞれに好きな音楽を聴けばよい。それが心を打つものであればジャンルを問うことはない。しかし今あらためて思うに、他のジャンルの音楽を聴いて、今のようなコメントが書けるだろうかと。むしろクラシックだからこそ書けているような気もする。それほど強くクラシックは私の心を打っているのかも知れない。
ホームページ
www.diana.dti.ne.jp/~tmcjapan
 
(2004.2)

2021.07.01

英語耳は中年からでも進歩する!

 私は今年5月30日にアマゾンの電子書籍で「英語耳は中年からでも進歩する!」を発行しました。また6月22日にはそのペーパーバックスも発行しました。(www.amazon.co.jp/dp/b0967zn42q )

戦前生まれの私は学生時代から英語放送を聞きたい一心で色々試しましたが、どれも長続きしませんでした。そんな私が50歳も回ったとき、たまたま英語放送だけが聞けるラジオをみつけました。それがすべての物語の始まりです。長い長い旅路でしたが、この歳になって聞けるようになりました。その旅の模様を詩的にかつ論理的に語ったのが本書です。宣伝していただければいよいよ嬉しいです。

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