芦屋のクラシック音楽コンサートホール

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2022.01.24

22.01.24 今月のNPR(アメリカ公共放送)リスニング状態

 またまた今月も22日、満月による大潮の時がやって来て私の血の回りも普段よりよくなった。おかげで脳細胞の開発が一段と進んだようだ。気分でなく意識上に手応えがある。まだこの歳になっても脳は進歩しているのだ。だからいつものNPRリスニング感度もまた少しよくなった。実際に聴いた昨日(1月23日)の放送英語の一部を下記してみよう。

 After a shaky December, when as many as half of Broadway's shows were shut down because of breakthrough COVID cases, things are on a more even keel; there were no canceled performances on Broadway last week. But the winter…

 全部で39語。13語としてこれらを何も見ずに13秒で聞き理解しなければならない。


https://gyazo.com/f2176fb3255a842a588e792603996d12

完全でないにしても7割方は聴き上げ大意は今取れている。『英語耳は中年からでも進歩する!』(www.amazon.co.jp/dp/B0967ZN42Q/ www.amazon.co.jp/dp/B096BLYCY8/ https://booklog.jp/item/1/B096WWNKRL の拙著でも書いたように、これは読む場合もリスニングと同じスピードとリズムで理解しなければならないし、またリスニングができればできるはずのものだ。

上記を日本語に訳すと下記のようになる。

「12月はまだ荒れ模様とはいえ、コロナが少し収まったおかげでブロードウエイ興行の半分程度が休業しただけで、事態はまだ順調だった。だから先週は興行のキャンセルもなかった。しかし、冬場は」この日本語ならば13秒で聞きも読みもらくらくと出来るだろう。もちろんブロードウエイがどのようなところか知っていることが前提だが。

 英語もこれと同じスピードで理解できないと、NPRが聴き取れたとは言えない。

 実際この英文を目で追って数回読んだ程度では13秒で理解することはできないかもしれない。それを耳で一回聞いただけで理解するのだから驚くだろう。しかし練習に練習を重ねればできる。できるのは無意識に依存するからだ。意識に頼っていてはできない。ピアノの名手がベートーヴェンの難曲を弾けるのは、無意識にできるまで練習に練習を積むからであって楽譜を見ながら意識してできるはずのものではない。無意識の開発こそがキーである。

 無意識とはわれわれが自覚することのできない神経細胞のネットワークだと私は思う。単語と単語の間を繋ぐ何かが無意識に形成されて、その何かが取り持つ縁で単語間に意味が生じるのだろう。その何かが無意識に形成されない限り、単語と単語は引っ付かない。単語が他の単語と引っ付いて複合的な意味ができ、それがまた他の複合的なものと高次複合し、一層複雑化する、このように複雑さに複雑さを重ねて最後に一貫した文脈ができるのだろう。

 以上のように書くと難しく感じられるかもしれない。そこで私はこの過程を米とご飯の関係に見立てて話することにする。ご飯作りには炊飯器に米と水を入れ一定時間、熱で蒸す必要がある。その過程が全部終わるとうまいご飯が出来上がる。条件が完全に満たされれば、米は全部デンプン質となって白いご飯にまとまる。しかし水が十分でなかったり、所定時間が経っていなければ、固いご飯やねちゃねちゃのご飯になってしまう。

 NPRの英語リスニングはこの炊飯に似ている。単語は米、脳みそは水、リスニングそのものが熱で、単語()が脳みそ()とともにリスニング()で一定時間刺激される(蒸される)と単語が全部意味(デンプン質)に変化し、最終的に完全理解(うまいご飯)ができるようになる。条件が揃わなければ、不完全理解(固すぎたりねちゃねちゃのご飯)になるのは当然、今日現在の私の理解状態は七部から八部炊きぐらいであると言えそうだ。完全理解にはまだしばらく要しそうだ。

2022.01.09

2022.01.09 赤ちゃんネズミの泣き声と人間の発話

 

 昨年5月にアマゾンから発行した自著、『英語耳は中年からでも進歩する!』のp60でシラブルの征服が音声英語の鍵」と述べ、p84で「意識と呼吸の関係について」述べました。

 これに深く関係する最新の研究成果が昨日(1/8)アメリカ公共放送(NPR)から一般ニュースとして流れました。それをかいつまんで以下に説明します。記事の見出しは「What crying baby mice could teach us about human speech(ネズミの赤ちゃんの泣き声が人間の発話について語ること)とあります。以下、要約して参考に供したいと思います。

 

 生まれたばかりのネズミの赤ちゃんも泣くらしいです。その泣き声は呼吸にシンクロナイズしていて呼吸に合わせて上がったり下がったりリズムカルなもののようです。泣き声を出すのは母ネズミと離れた時で、泣き声が母ネズミには子ネズミからのSOS信号と映るようです。

 子ネズミが泣き声を出すのはそれができる生得的な能力があるからで、脳幹に泣き細胞のネットワークがあるからです。それが呼吸とシンクロナイズするというのですから、泣きの細胞ネットワークと呼吸の細胞ネットワークとに重なる部分があるはずだと仮定し、実際に実験してみると、仮定通り一ヶ所に共通部分があったそうです。そこで重なる部分を切り取ってみると息は普通にしていますが、泣き声はしないか、してもリズムがなかったようでした。

 ネズミの脳と人間の脳はもちろん違います。しかし人間の赤ちゃんが泣くのもネズミの場合と同じ原理に基づいているようです。さらにネズミが泣く時のいろいろな器官の動きを細かく分析してみると、そのなかに人間の発話と共通する部分があり、それが呼吸に関係していることがわかりました。

 つまり泣きのリズムと同じように、人間の発話にもリズムがありました。一呼吸している間にいくつのシラブルをリズミカルに言えるか、これが発話の基本原理のようです。このシラブル音を統合して単語音とし、それらを統合して意味を取る。その全過程を行うためにはそれができるだけの脳細胞を後天的に徐々に発達させなければならないとあります。これは聞く側の理解リズムにも言えます。つまり発話と受話はシンクロナイズしており、発話原理は理解原理でもあるからです。

 このニュースを今日見聞きして、あらためて私は思いました。「何だ、オレが今までやってきたことではないか」まさにこの脳細胞ネットワークの段階的開発こそ私がやってきたことだったと、これがこの最新の研究で裏付けられて大変嬉しくなりました。

2021.12.21

2021.12.22 英米語リスニング

 

英米語リスニング

 

 今年の12月22日もついに過ぎてしまいました。私にはこの毎月の22日が待ち遠しい日なのです。 

この日は毎月頭の血の巡りがよくなって英米語リスニングが一段と冴えるからです。この日は月の引力が最大となり海で大潮が見られるように私の頭でも引力の力で神経細胞が大きく刺激され、はっきりとリスニングの上達ぶりが自覚できます。

もう長年、英米語を聞いていますが、毎月このようなステップを繰り返してきましたから今が一番よく解かる日となっています。

私がここでいう英米語は私たちが外国語として学ぶ英語ではありません。母語英語です。つまり、日本人が普通に聞くNHKニュースを外国人が聞くようなもので、かれらの母語ニュースを外国人の私が普通に聞いて理解しようとしているものです。

昔、リスニングを始めたころは音にすら聞こえず白い霧の中に立ちすくんでいました。それがやがて濁流となり、小鳥の囀りとなり、小川のせせらぎとなりましたが、何一つ意味らしいものを脳に運び込みませんでした。それがこの12月22日にははっきりと情報として理解されるまでになりました。

この私のリスニング体験をまとめたものが、今年5月アマゾンから発行した拙著、『英語耳は中年からでも進歩する!』でしたが、

ほとんど反応らしい反応はどこからもありませんでした。

 それがこの12月15日、ある地方のある女性から嬉しいメールが届きました。

 それにはこのように書かれていました。

「『英語耳は中年からでも進歩する!』を読ませて頂きました。アマゾンにレビューを書かせて頂きました。(下記)

「(12/15)★★★★★単語と単語の間の空白を線にする。読む英語にある単語間の隙間空白が「小休止」ではなくなる過程が綴られている。そうなって初めて、英語の「流麗感や緊張」が感じられる。私には、最後には、英語の波、深海の中に、大きく口を開け流れてくる英語を自由に食べながら泳ぐ作者が見えるようだった。1秒に流れてくる英語の単語数なども書かれていて面白い。変わっていく自分を冷静に観察している。やっている人にはわかる感覚があるし、やり遂げた人にも、もう一度初心に帰ろうと思える本だ。」

 私は、子どもの英語教室をこの地で開いております。できるだけ確かな方法で、近道で教え、後は時間と共に育てていく英語を、と思っております。ご本を読ませて頂きまして、日々のレッスンの中で気をつけねばならないことも見つかり、私自身も初心に戻れました。

 レビューには書きませんでしたが、あれほど美しい英語で別れの挨拶がお出来になる中西様が、どうして英語が聞こえなかったのか、不思議でなりません。聞こえる過程を知りたいと思いました。ご本『私の英語遍歴』をお送り頂けましたら、幸いでございます。私にも、ご本の中と同じ感覚体験があります。途中からは中西様と違う道を辿りました。」

 私は書くのと聞くのは大違い、書く場合はいくらでも時間が掛けられるが、聞く場合は、分速200語(3秒10語)を耳だけで即座に理解しなければならないからと返事しました。

 次に以下の主旨の反応がありました、<教室の子どもたちに「ここは間を空けないで読んでごらん」と時々言っていたのを、中西様の御本を読んでからは、「間は続けて読んでごらん」と言うようになりました。必ず続けなさいという意味が簡単に伝わりました。また、子どもたちの文は短いのですが、時々日本語でその意味を私は伝えます。まだ小さいのですが、日本の学校英語に合わせて、I get up at 7.なら「私は7時に起きます」と言いがちですが、中西様の本を読ませて頂いて、「私が起きるのは、7時です」と言い続ける覚悟ができました。また、否定疑問文のところも、中西様のように説明すると、子どもたちは難なくわかるでしょう。本当にありがとうございます。

 「人が英語を読むのを数秒聞けば英語力がわかる」とある人が教えてくれました。これも中西様の本のなかにありましたね。>

 短時間で楽に英語ができると書かなければ本は売れないそうです。が、私は急がば回れ、インターネット時代、時間はかかっても若い時から耳を鍛え続けなければ本物の英語力は身に着かない、そう主張したいです。あなただけでなく明日の日本のためです。

(2021。12。21)

2021.08.17

本出版後3.5ヶ月目のリスニング感触

 『英語耳は中年からでも進歩する!』出版後3.5ヶ月後のリスニング感触

 私が今年6月22日に出版した『英語耳は中年からでも進歩する!』(ペーパーバックス)の中で、「11.いよいよ完成に近づいた」、「12.FENリスニング完成、目標達成」(p76-77)と書いたのは今年5月3日の放送を聞いてのことだった。それからまた3.5か月が経過した。この8月初め頃からまたリスニングの感触に少し変化が現れ出した。それが顕著になったのはこの8月15日だ。その感触がまだこの身体に残っている間にメモにして残しておきたい。
この3.5か月の英米報道を振り返ると、世界的にやはりコロナの感染拡大が大きな話題だったが、東京オリンピックの話題も大きかった。それらに加えて、地球温暖化や異常気象による大規模な山火事発生や大洪水災害もあった。7月初め頃からはアフガニスタンにおけるタリバンの動きが報道され始めたが、8月入りで急展開を見せ、ついにこの8月16日、首都カブールが陥落した。
このようなニュースを連日2時間ほど聞いていると、報道の語句や文体、背景情勢に慣れてくるのだろうか。ぐっと理解度が進んだようだ。この半月間、日を追う毎に理解度が目に見えて上がってきたが、一体、脳内でどのような状態、どのような現象が起こっているのだろうか。
国際報道はだれにでも容易に理解できるものではない。英米語による国際報道は日本人にはまるで「ネコに小判」である。小判を小判として価値あるものと認めるにはネコがヒトに変るほかない。私はネコ、つまり日本人、それから英米人になることを選んだ。
 ネコ(日本人)にも額(英語脳)はあるが小さい。ヒト(英米人)並みになるために実質20年近くを要したが、段々とそれができてきた。「基盤完成した」と見做したのが今年5月初めだったが、この3.5ヶ月で応用編も相当に進んだ。
 基盤の上に応用も進んだこの時点であらためて英語リスニング理解とは何か、もう一度、私なりに定義してみた。
リスニング理解とは、ある一定時間内に、時間経過に従って、脳内に描く、ことばによる、アナログ的な、イメージの全体像である。
英米放送のアナウンサーが話す速度は分速約180語である。つまり秒速3語。一息にしゃべる言葉は約9語だ。一息を3秒として、1秒後、2秒後、3秒後と時間に従って脳内に形成される、3語、6語、9語のことばによる、アナログ的な(ぼわーんと広がる)画像の全体像である。
 
 たとえば、次のような英文でどのようなイメージを描くか。
  Chaos erupted at Kabul’s airport as thousands of Afgans/ were left uncertain of their safety and livelihood after /Taliban forces in Afghanistan occupied the capital city.
.
3秒後  大混乱、起こった、カブール空港で、数千のアフガン人が
6秒後  残された、不確かなまま 安全と暮らしが、後
9秒後  タリバン勢力 アフガニスタンの 占領した 首都を
これらのイメージが全体として意味ある画像として残らなければならない。
先に進むにつれて前を忘れるようではならない。
これができる前提は
① 音が音として聞こえなければ何事も始まらない。
② 聴き取れた一語一語の意味が解らなければならない
③ 語間の関係や句節間の関係が結ばれなければならない。
④ テニオハ関係がはっきりしなければならない。
⑤ これら一切がきわめて速く処理されなければならない。
⑥ すべての大意が(細部は忘れたとしても)記憶として残らなければならない。
私の過去3か月半の進歩はこの中の特に③と⑥が顕著であったと感じる。
③語間や句節間の関係を結ぶのが糸だと考えると、その糸数が大きく増え、目が混んできたと感じる。
⑥記憶に残るためには記銘度が強くなければならない。印象が強ければ強いほど記銘度は上がる。イメージが膨らめば膨らむほど言葉の印象度が膨らみ、記銘度が上がり好循環が生まれる。
さらにまた4か月が経つ今年年末のリスニング感触はどのようなものになるか今から楽しみである。                         
                          (2021.8.17)

2021.07.12

英語耳は中年からでも進歩する!

 本年6月22日にアマゾン社から売り出した小生の紙の本「英語耳は中年からでも進歩する!」が、”英語耳”の新着ランキングで1000件以上あるうちの上位に来ています。嬉しいことです。実物はこの写真です。

2021.07.06

私はカラープリンター

 今日は2021年7月6日(火)、朝からベッドの中でジョー・バイデン大統領のアメリカ独立記念日(7/4)の演説を聞いた。普段の話しぶりと違って元気溌剌とした表情で、強いアメリカがまた戻ってくると力を込めていた。コロナパンデミックがワクチン効果で次第に薄れ、人の行動にも変化が出始めた、いよいよこれからだというのだ。このように相当程度によく聞き取れ理解できるまでになった。この理解の様をどう説明すれば、皆さんに、また後日の私に、今の私の理解状態が解ってもらえるだろうか。

  ふとカラープリンターから出てくるカラー写真を思い出した。赤、青、黄のインクがしかるべくうまく混じり合えばきれいな写真が出てくるが、インクの一部でも不足すると妙な写真になる。またインクは十分でも複雑な絵をコピーしようとすると、インクの調合に時間がかかってなかなか紙が出てこない。この様が今の私の英語放送の聞き取り具合をよく表している。
  私はカラープリンターだ。そして私の脳は赤、青、黄のインクであり、それらを調合する肝心な働きだ。インクの貯まり具合も調合する働き具合もすべて脳の神経回路のつながり具合にかかっている。普通のインクタンクと違うところは普通のインクタンクは減る一方、このインクタンクは増える一方だ。プリンターには原稿を置くガラス板がある。それに相当するのが耳だ。耳に外部から入ってくる情報を置き、スタートをクリックすると原稿が3色で調合される。この脳の場合、3色とは何だろうか。赤は音(発音)、青は文法(構文)、黄は知識(情報)だ。赤の音(発音)が聞き取れなければ何事も始まらない、しかし聞き取れてもそれが青の文法(構文)でうまく調理され、黄の知識(情報)で味付けされなければ、何を喰っているのか分からない。
   さて、今の私のインクの貯まり具合はどうだろうか。長年の蓄えで赤の音(発音)インクは相当充満してきた。だから赤部分のコピーは相当進んでいるとみなしてよい。青の文法(構文)はどうか。簡単な原稿ならいいが、英語放送は複雑な絵をコピーしているようなものだから、構文処理に時間がかかりかすれたまま出るしかない。黄の知識(情報)はどうか。これは今からというところだ。これらのインクは独立に使われはしない。他のインクと調合しながら使われる。その調合を行っているプリンターの肝心部分が、脳でいえば前頭葉だ。この機能の全面発揮にはまだまだ時間がかかりそうだ。
                           (2021/7/6)

2021.07.02

学社地遠の友(学友・社友・地友・遠友)

  生まれてはじめて意識した友は実家の隣に住んでいたKちゃん、文字通り竹馬の友だった。物心ついた頃から小、中学校までともに暮らし、渾名で呼び合う仲だったが、いつしか音信不通になってしまった。いつまで経っても幼友達はいいものだ。あの頃のことばで一言声を掛ければ時間を超えて昔が戻ってくる。心の湖底に沈んだ堆積物がその一言で掻き回され、懐かしい日々がよみがえってくるからだろう。

 この幼い日から大学までともに学びともに遊んだ友、学友は朝の友、会社に入り定年まで苦楽をともにした友、社友は昼の友、定年以後、ともに好きなことをして支え合った友、地友は夕方の友、そして今、われわれ夫婦の音楽会社に集う遠来の友、遠友は晩の友である。
 朝は希望。朝6時半に目を覚ました児童が7時には小学校に、8時には中学校に、8時半には高校に、そして9時には大学に進んだイメージだ。まだ寝とぼけていた小、中学校、目覚めてきた高校、この頃の友が今一番懐かしい。目覚めながら互いに精神的背骨を作った思春期だった。大学ではもう違う背骨をもった友が多くいた。こうして22歳までともに過ごした学友は(友)情に富み、意(欲)に溢れていた。かれらはその後どんな昼を送り、今どんな晩を送っているのだろう。
 
 昼は夢中。新入社員として働きはじめた10時、仕事に慣れた12時、働き盛りの1時2時、疲れはじめた3時、頭が回らなくなった4時、この間を夢中に過ごしてきた。そこで出会った友はやはり学友とは違っていた。みな、はじめから覚醒した違う背骨をもった大人ばかりだった。組織という名の檻の中はとかく窮屈でじめじめもしていた。目的達成のためには知(恵)と意(志)が尊重され、ときに情は捨てなければならなかった。そんな中で切磋琢磨する社友は逞しい同志だったが、そのうちに疲れも出てきた。学友が情・意だったのに対し、社友は知・意、総じて社友が学友よりドライに見えたのはその所為だろう。その社友はかつてどんな朝を送り、そして今、どんな晩を送っているのだろう。
 夕方は残照。一般に会社人間は、定年後は淋しいものだ。今までのように四六時中ともに過ごせる友はいないし、4時から新たな友を作ることは至難であり億劫でもある。趣味の合う趣友がいても地理的に離れていてはそうそう会えない。
私の場合、ここに登場してきたのが同じ地に住み、仲良くしてきた地友である。4時からの友といえる。同じ新興の地に住む“好きなこと仲間”だ。“村のミニコミ誌会”“漢詩の会”“混成コーラス”“絵画同好会”“有志のカラオケ会”“書道同好会”“異文化研究同好会”の仲間で、女性、男性、壮年、熟年、初老、現役、リタイア、出身も職歴も区々の、まことにおもしろい多士済々だった。彼らとは情が通じ、知が共有できた。かれらの午前や午後はどうだったのだろう。
 定年後引っ越した湘南国際村は湘南の富士山の見える景勝の地で、高い丘の上に立つ村は開発したてで真新しく、住民も新入村者ばかり、他の地域から自然条件的に隔離され、戸数も少なく、それだけに同朋意識が湧く。定年後、あるいは定年直前に引っ越してきた村人は多分にロマンティストで、言わず語らずの粒揃いだった。
 互いに知らない地でこれから助け合い、支え合って生きて行くためにできた同好会では、他人事に田舎のように詮索も介入もせず、といって都会のように冷たく、我関せずでもなく程よい家族ぐるみの新地縁関係が続いた。この地友は知(的)で情に厚い友であった。
 色んな分野で、酸いも甘いも噛みしめてきた4時からの友は和紙のように美しい。お互い何のしがらみもない。その話に耳を傾けると深く味わいのある余韻が響き、彼らの、私の知らない朝や昼まで想像させてくれた。4時から知る別世界、これらを開陳してくれる貴重な地友こそ稀有な癒しの友だった。が、晩になる前にかれらと別れを告げた。
 地友関係は2013年まで続いたが、喜寿を迎えた私は突然里心がつき同年、関西芦屋に引っ越した。晩年にふさわしい晩の始まりだ。
 晩は寡黙。芦屋ではわれわれ夫婦が建てた音楽ホールに外国勢も含めて遠来の客が集い始めたが、昨年来のコロナ禍でそれも叶わないところとなった。デジタル時代とあってメル友やフェースブック友が増えた上、ZOOMとやらでズームアップはしているものの半人半ロボの感じは否めない。かれらを純然たる意味で友と呼ぶには抵抗がある。距離的に年齢的に心理的に皮膚的に遠い存在の友だからだ。かれらの過ごしている一日にはもはや関心が薄れた。しかし、晩の友は晩年にふさわしく、濃厚でない、あっさりした知情意レスの友の方が似合うのかも知れない。
                                       (2021.7.2)

2021.07.02

パリ国立高等音楽院教授、イヴ・アンリ氏とともに

 

夜空に蒼く輝く月、その光に照らされた白い雲片。その下に広がる喜びの島、月の光が島の稜線を照らしている。海はどこまでも暗く黒く底に向かって神秘の光を放っている。海上に生起する寄せては返す虹の波。アラベスク風の高台で水を吐く噴水。独り高く上がっては崩れ落ち水盤を満たす。水の反映だ。これはドビュッシー没後百年を記念して私が描いた詩的散文の絵である。

今日のイヴ・アンリのピアノを聴きながら絵に共通しそうな楽想に想いを馳せていた。ショパンがピアノの詩人と呼ばれ、画家のドラクロワと色彩感について大いに論じ合ったように、ショパンの後継者のドビュッシーもまたいかに音で色彩を表わすかで苦しんだようだ。イヴ・アンリの演奏を聴いていて、曲の楽想がそもそも脳裏になければ、それを表わす色彩感も何もあったものではない。音楽を志す人は音楽以外にもっと詩や文学、絵画にも関心を示してほしいと思った。天に向かい、水底に向かって放つ神秘の色は最弱の、無音の長い音ではないだろうか。
2012年7月ブリジストン美術館で開催された「ドビュッシー、音楽と美術-印象派と象徴派のあいだで」の解説書を読むと、次のようにある。ドビュッシーが、神秘への嗜好、彼岸への逃避の絶えざる憧憬を持ち、内省と不安の象徴的風景である深淵のほうを向いていた。音楽の定義でも、ドビュッシーは迷わず暗闇のイメージを選んだ。  「音楽は語りえないもののために作られる。私が望むのは音楽があたかも影から外に現れ出たかのように感じられること、そして折々影の中に帰っていくこと…」で、あまり明るいものは好まなかったようだ。それでこのような闇の絵を描くことにした。
                         (2018.9.16)

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2021.07.02

四柱推命と私の今

 生まれた年、月、日、時を四つの柱として人の運勢を占う四柱推命は私にとって興味以上のものである。これをある種、科学以上のものとして私は捉えている。四柱推命のややこしい理論は横に置くとして、その背景となっている宇宙の営みに私は目を見張る。「胎児の世界」(中公文庫)の著者、三木成夫は、p184で、森羅万象を貫くリズムの本質を明らかにし、どんな生物の食と性の営みも年・月・日のリズムと厳密に結びついていると述べている。同じ軌道を循環しているように見える月や太陽も年とともに位置を変え、同じ定点に一時として留まらない。人の一生もこの軌道に影響されるものらしい。

 人には宿命と運命がある。宿命は生まれながらにもつ性質や運勢、運命は運ぶ命、巡りあわせとなる吉凶禍福の運勢である。どの定点で生まれたかで宿命が決まり、これからどのような軌道をめぐるかで運命が決まるという法則だろう。
私の宿命はどの書を紐どいても大体同じで、私の性質の要約はこんな具合である。
 「日からの判断…研究や学問の分野で力を発揮。カンが鋭く、観察力や分析力が高い。地道にコツコツ努力する。好き嫌いが激しく、協調性はあまりないが、大きなやさしさを秘めている。潔癖で少し独善的なところがある。月からの判断…宝石のキラメキが水の流れを輝かせる絵となり、品格があり、知的な人物。対人面ですこしチグハグなところがある。しかし物腰が柔らかく穏やかで人から好かれる。少し見栄を張るところがある。毒舌家の面もある。押しが弱く、二番手に徹することが多い、…」このように言われるともうほとんど信じたくもなる。なぜ、ここまで私の生年月日(時間は普通分からないことが多いため、実質は三柱推命)だけで解るのか。
次に私に運命を見てみよう。□を書いて、上を北、下を南、右を東、左を西とする。そして一辺を3等分すると、□が12等分される。つまり十二支の12となる。北の真ん中を(子、ね)とし、右周りに(丑、うし)、(寅、とら)(卯、う)…とし、最後に(亥、い)を(子、ね)の左隣にすると輪が一巡する。このそれぞれを10年とすると完全に一巡するのに120年がかかることになる。
私は三月生まれ、つまり(卯、う)月の生まれは右辺の真ん中、そこからグルっと右廻りする(ある計算式で左周りもある)。私が(卯、う)を離れて(辰、たつ)になるのは5歳の時(ある計算式で算出したもの。人により違う。)以後10年刻みで、15歳で東から南へ折れ、25歳、35歳、45歳と進み、西へ折れ、55歳、65歳、75歳と進み、北へ折れ、今真ん中の85歳にいる。今後、長生きすれば95歳となり、東に折れ、105歳、115歳、となって元の5歳に重なることになる。一辺が30年だが、その方向が変わる時が大変化、同じ辺内の刻みでは小変化が訪れるという。
 人それぞれの特有星がこの軌道を回るとき、人それぞれに、その特有の運命が訪れる。
星は木、火、土、金、水の5種があり、そのそれぞれに陰陽二つがあり全部で10種類となる。これが干支(十干十二支)の干に当たる。私の星は水の陰で、この星が悪い運勢を辿り始めるのは南から西に折れる45歳から。とくに45歳から55歳が最悪、それから徐々に回復、これが北に折れる75歳からの30年間は幸運に変わるとある。思い返せば私が四柱推命を知ったのは50歳過ぎ、ニューヨークから帰国した直後だった。男にとって一番大切な管理職時代(45歳~55歳)に一番くさっていた。その時にこの運勢を知り、「なるほど、今が最悪なのは定めなんだ。これから徐々に悪条件を脱し、60歳の定年から上向き、北に方向転換する75歳からは大いに希望が持てる」と思ったものだった。
これが予想通りというか占い通りになったのだから驚きも驚き、もう私はこの四柱推命を疑えない。とくに今、85歳になってそれが顕著になった。占いは陰暦がベースなので今回の自費出版もはじめから2月以降と定めていた。この出版でまた新たな人生が始まりそうだし、今日からThe Music Center Japan のホームページも装いを新たにした。この節目に当たりこのようなエッセーを記念に認めた。
今や私にとって四柱推命は迷信でもなければ当たるも八卦、当たらぬも八卦的存在ではない。人生一生の確かな道しるべとして神妙に考える術である。
                         (2021.7.2)

2021.07.01

マンハッタンとの対話

 ミルバーン・ホテルの三百九号室で今朝目覚めたのはまだ暗い五時半頃だった。隣のベッドではN君がまだ気持ちよさそうに眠っている。外の音がする。ガタガタとトラックが走り去る音がブロードウエィの方から聞こえ、犬の吠える声がする。人の声も聞こえたようだ。昨日、ノースウエスト機で十一年ぶりに訪れたニューヨークは私の頭の中で徐々にそのかたちを作り出そうとしている。今、泊まっているこの西七十六丁目からセントラル・パークを横切って東側に出ればかつて住んだ東七十三丁目や東八十四丁目に出られる。そのあたりは今どうなっているのだろうか。セントラル・パークの落ち葉はもう盛りを過ぎたのだろうか。そんな想いに耽りながら、もうベッドから起き上がっていた。六時十分服を着替え、そっと階下に降りて行った。

ホテルの玄関を出て東の空を仰ぐとまだほの暗く街灯の灯りの方が明るい。しかし、わずかに白みがかってきていて建物の黒いシルエットが美しい。晩秋の空気が肌をさし快い。早起きのアーリーバードたちが犬を連れてホテルの前を過ぎていく。一日の始まる朝の静かな息吹きが私はことのほか好きだ。四、五階建ての堅牢な石、またはコンクリートのアパートが舗道の両側に立ち並びいずれも同じような階段つきファセードを持っている。大きな西洋犬を連れた中年の男女が犬に引っ張られて黄褐色に染まった街路樹の下を勢いよく通り過ぎていく。セントラル・パークに入ると晩秋の風情がいっそう色濃く迫ってくる。手前の樹木も向こうの樹木もみな黄色というより赤褐色に染まり、その樹木の間を縫うように走る舗道を色んな人がジョッギングしている。週末のニューヨーク・マラソンを控えて色とりどりのウインドブレーカーが賑やかだ。パークの向こうに顔を出したプラザ・ホテルの建物や振り返ったときのダコタの城状建物が懐かしい。しかし、セントラル・パークって横切るのにこんなに時間がかかっただろうか。久しぶりの散策で遠回りもしているし、ちょろちょろ小走りに出てくる可愛いリスに見惚れもしているが、こんなに時間がかかるとは思わなかった。きっと日本の小公園に慣らされているからだろう。マンハッタンからセントラル・パークを失くしたらどんな都会になるのだろう。人工的な高層ビルで埋め尽くした都会だからこそ、こんな自然な大公園を真ん中に置いてバランスをとっているのだろうか。
そんなことを考えながらうろついている間に東八十四丁目のメトポリタン・ミュージアム横に出た。いよいよ懐かしい東側だ。すっかり明るくなった街を、車が、人がいく。幅広い舗道、頑丈な石の建物が威風堂々と並ぶ。かつて住んだ東八十四丁目の一番街と二番街の中間に位置するアパートを眺めてみる。いささかも変わっていない。はじめてニューヨークを旅する者ならこんなアパートにだれが住むのかと興味を抱くところだが、私にはそれがない。まぎれもなく私自身その住民だったからだ。いっかどニューヨーカーぶっていた頃の私の残影を私は今あらためてみた思いだ。よく歩いたサード・アベニュー、レキシントン・アベニュー、パーク・アベニュー、マディソン・アベニューを縫いながら東七十三丁目のかつての単身寮も眺めてみた。ここも一切変わっていない。堅牢な建物は外観から見る限りなんらの変化もない。くすんだチョコレート色のアパートはそのままだ。
ここまできたときふっと私の頭を過ぎるものがあった。それはもう一度ニューヨークという都会を私なりに定義してみたかったことだ。私はそれをDUEとした。Dはdiversity、Uはurbanity、Eはethnicity、つまり、雑多性、都会性、人種混在性だ。ニューヨークにはあらゆることの極端がある。道一つ隔てて違う文化が棲息している。美醜を越えた美がある。強いアクセントが存在する。私は同じ方向に群れたがる日本より一人一人の個性を重んじるこの街が好きだ。ニューヨークは真の都会だ。自然の美も美しいが石とガラスとコンクリートの人工美で構成した都会美こそここの生命だ。そして刺激的だ。ニューヨークは一切のまがい物を拒絶する。本物だけが生きる魅力ある街だ。そんな都会が私は好きだ。ニューヨークは人種のるつぼだ。あらゆる人種があらゆる文化の花を咲かす。ブロードウェイのあのくったくない黒人の歩き方を見よ。地下鉄の乗客を汚いとみるか、危険とみるか、それはみんなの勝手だが、私には人間と映る。強烈な個性を発散する人たちだ。こんな鏡に映したとき、どんなに日本人が精彩を欠くことか。色んな人種が愛するニューヨークを私も愛する。こんなニューヨークはこんな私を愛してくれるに違いない。
さて今日から始まる音楽の旅、リンカーン・センター、カーネギー・ホールが新たなるパンチとビートをわれわれに与えてくれることを祈りつつ。 (1997年11月14日)
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